2017年11月10日金曜日

家という持ち物


先日より メールやブログにて
土教室の新天地となる場所、家のご紹介をしています。


http://yoga-do-tsuchi.blogspot.jp/2017/10/vol1.html



家。


ごくふつうの一般家庭においては
こんなおおきな物理的な持ち物
そうそうない。

易々と手放したり買い換えたりしない持ち物であり、所有物。


目下、自宅となる家の大改装中ですが、
いろいろと 考えさせられます。



いや、デザインとかでなくてですね、


家族が生きていくうえで
ほんとうに必要な要素は何かということを。



わたしたち
生まれてきたときは  なーんも持たずに生まれてきて、
(からだとこころは持ってきたけどね)

死んでいくときも この世界のモノはなーんも持って行けないです。
(ある種のカルマは持ってゆくといいますネ)
(そして  目に見えるからだ以外のからだも、持ってゆきますけどネ)



たいせつな土地も
たいせつな服も
たいせつな家族も
たいせつなお金も
たいせつなエゴも
たいせつな家も。





あと何年 この人生があるのか分からないけど
これからさき、自分や家族にとって 家というものがどんな存在であるべきか。

家というものが どんなふうに機能していくべきか。

考えますね。



限られた労力と資金と時間。


生きてきた途中で  たくさん身に付けてきてしまったラグジュアリーな感覚。

いらない要素を、落として、落として、落として

はだしで土を踏みしめたときに、
衣一枚で風に吹かれたときに、
天を仰いで顔に雨粒を浴びたときに、
じぶんたちに必要だと信じるものを、見定めて、「持ちもの  家」をつくりたいし、


じぶんが死んだあとになにも残らないように、
もしこの家が朽ちたとしても、できるかぎり自然に還ってもらいたい。


そして ”じぶんたちの” 家、 ”じぶんたちの” 土地、という感覚ではなく

自然から 一時、シェアしてもらっているんやという意識で、います。


土の家は、ご縁ある方々が 交流する場であり、
ヨーガやアーユルヴェーダという道具を通した みんなの想いがつながる道具箱のようなもの。

土の家が わたしたち家族はじめ、関わる方々にとって、生きることの土台作り、生きることの本質を 見定めていけるような空間にできたら。


そんなふうに、考えます。



といっても、制限も もちろんありますわね。





むかし、フランス西部の田舎やアルプスの山奥で、
自然に浸りきって生活していたことがあります。


虫も動物も友も 生活はみーんな一緒でした。

横も、縦も、どこも隔たりはなかった。


「じぶんらしさ」に還れた、とてもたいせつな宝物。



この体験の軸が、

いまなおわたしを支えてくれていて、

生きることの原点でもあります。



あのときのように… と、懐古的になっているのではないんですが、

制限はある中で、今 できることを、しかるべく選択をして、できる範囲で、

この原点に すこしでも近づけるように、と思っています。









あっという間に、今日は金曜日。
みなさま、心地よい週末をお過ごしくださいね♩





0 件のコメント:

コメントを投稿