土-tsuchi-では、月末の各クラス後に、"シェアリング" を行っています。
シェアリング。
英語のような、和製英語のような、なにか特別な指輪のような・・・?
言葉にして言うのが、すこし くすぐったい感じ?
カンタンに言語解剖すると、
Share 共有 + ing する(こと) = シェアリング
です。
なにを共有するのでしょうね〜?
実際、クラス後に行うシェアリングはどのようなものかというと、
みんな輪になって、みんなそれぞれの、日々の(あるいはヨーガクラスにおける)「気づき」を言葉にして伝えます。
こんな風に説明すると、
「気づきなんて、そんな大層なもん、見当たらないですよ〜」
とか、
「えぇぇぇぇぇっっっっと・・・・・サイキン、ヨク、オモイマスノガ、デスネ、、・・・。アレ?!なんだっけ?」
なんて、肩にチカラ入って、言いたいことが出てこない。
そんな方、少なくないんです。
で、苦手意識が勝ってしまうので、シェアリング不参加率が高くなる。
あるいは、あまり知らない"人"に対しての バリアや怖がり感から、
集まることを避けてしまい、シェアリング不参加率が高くなる。
こんな方も、少なくないと思います。
(あの これ隠に、シェアリングに参加してくださいよって言ってるのではないんすよ。)
じつは、わたしも(も、というか、シェアリング好きな生徒さんもいっぱいいるんやけど)、シェアリング、実は 全然好きなタチではないのです。
気づきを言葉にするのが苦手やし、それを人に伝えるなんて、上手くいかないのわかっているのでモゴモゴする。
もともと集団が苦手。
右脳に頼り切っていた人生。
じゃ なんで、言葉で人を導くヨーガのセンセイしてるん?
わざわざ シェアリングするん?
・・・って直接聞かないでくださいね笑。
苦手だけど、参加すると、そして 言葉にしてみると、
解ることがあります。
たとえば、
じぶんが じぶんのことを感じ思っていることを、考えていることを、
誤差のなきように言葉にするのは、 驚くほど むずかしい ということ。
たとえば、
「なんとか上手に、みんなに誤解されないように、じぶんが理想とする"じぶん像"をこの場で壊してはイケナイ」みたいな?
エゴに気づく。
シェアリングに参加して、こんな発見が訪れたなら、
それが きっと、「シェアリングの意味」です。
そういった気づきから、ヨーガの勉強って始まっていくもんです。
共有することって、参加することから始まって
たとえ言葉にならない場面でも、
参加している人は 言葉の背後にある あなたという存在を、共有しています。
見えないものの間でも、共有ってリアルに存在しています。
実は シェアリングの話の内容というのは、ぶっちゃけ、なんでも、いいんですね。
ははは。。
参加することは共有することに含まれるから。
シェアリングに参加すればするほど、ヨーガは リアルに共有されます。
ほんとうに。
ところで、
わたしは、このシェアリングって言葉、しょうがないので使っている、というのが正直なところでして
なにか 日本語の良い呼び方があれば いいなぁ と思ってます。
アイデア持つ人、求ムー