2018年2月14日水曜日

気づきのギャップ



産後、

こんなに瞑想の時間をもてたのは、

きっと はじめて。



そして 産後、

こんなにひとりでゆっくり呼吸できたのも、

きっと はじめて。




母になったひとは

産後少なくとも3年経たないと

完全なる母体の回復を得るのは難しい、


と 産前ドクターから聞いてはいたが

・・・ほんまでしたわ。




ここにきて、やっと、

娘を産む前のじぶんを思い出せた気がしています。










ここのところよく

おかあさん方から耳にするのは


「子どもを産む前は あれもこれも理解したと思っていたけど

いざ産んで 育ててみると

あれもこれもどれも  全然分かっていなかった (分かった気になっていただけやった)」



っていうようなこと。





うん。 ほんまに、そうですよね。





先日の瞑想クラスで

サンスクリットの音を何回もそれぞれのポイントに響かせて

そのあと しずかに坐っていたのですが


音をからだから発する前と後の「しずか」な状態は

明らかに違った。


そんなことは もうずっと前から分かっていたはずだったけど

この気づきのギャップよ。



幼子との生活は 常に騒々しく

言ってみれば マントラを唱えているときのからだの振動がずっと在る状態。


そら 今まで3年身心にゴングがずっと響いていたんやから

それが止んだら  平静状態の認識は だれでも変わるわな…



妊娠出産で いちど身心を一切解放し手放すのは

ある意味、死の疑似体験なのだろうけど、

もぬけのから(ニュートラル)状態から 身心を24時間作動させ続けた3年間を経て

今回「しずか」という わたしの形容詞の定義は、一新されたのでありましたー


いやいや、どうして、まだまだ知らない「しずけさ」はあるのです。


なにごとも 体験してみないと、わからない。


この世の計らいは、実に、見事です。







古い体験記憶と今の気づきのギャップ。

それ自体に 正解や不正解はないですが

この気づきがひとをアップデートさせ

成長させ

いや 進化と呼んでもよいんではないかな?


これが、生きている、ということなんだと思うのです。


だって  からだが死んだら 体験はできないし

そこに気づきも成長もないのです。









育児は育自、とはよく言ったものだと思います。


まっさらな0歳児からはじまり

こどもの成長に従って  親という人間も日々成長できるんですね。




昨日の我が子に   昨日のわたしに

今日は もう会えないし、



今日の我が子も 今日のわたしも

明日にはいない。




どれだけ今に目覚めながら

進化して生きてゆけるかな?













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