2016年12月6日火曜日

クリスマス会 後編



先日のクリスマス会を通じて 思ったことや感じたこと。


世の中、ヨーガのスタジオやお教室なんて今やありふれた存在で、
大きな都市部はもちろん、地方のちいさな駅前や、観光場所なんかでも、
ちょっと検索したらすぐヒットして、体験クラスなんかから 始めることができる。


すごいね。
それだけでも、ほんとに。
精神的なフィールドも含め、さまざまな分野で右肩下がりのクオリティ下降が止まらない日本において、ヨーガ(どんなヨーガでもね)を学べる場所が増えていってる。
第2次か3次かわからんけど ヨーガブームが到来する前の昔を知ってる方はびっくりやんね。


わたしたち人間は、行動を選べる。
自ら、何するか、チョイスできる。

ヨーガの教室が増えてるということは、ヨーガの需要が増えてるということ。
ヨーガを学びたくて、あるいは 広め、人とシェアしたくて、
自らヨーガを選択する人が増えてる。

世界中にいろーーーんな情報があって、タイムレスに遠くのなにかを手に入れたり、使ったり、満たされた気持ちになったり、消費できるモノや時間や思いで溢れてるのに、
わざわざ、ヨーガを選ぶ意味。
これは個人レベルでなく、社会的需要なんだと思っています。
今はとても地味だけど。

ヨーガは、からだを柔軟にする役割、内臓を元気にする役割、自然治癒の力を取り戻す役割、呼吸を解き放つ役割、思考をクリアにする役割、こころを緩める役割、いろんな関係性に気付ける役割、、、言い出したらキリがないけど、いろーんな効能があるようにみえる。どれか一つをピックアップして、それに特化して  もしくは体系立てた人の名前を入れて「◯◯ヨガ」って銘打っていたり。

ヨーガをするのに、なにをきっかけにしても良いと思うし
(たとえば  からだのどこそこのコリをほぐしたい、病気をしたので 今後の健康維持に役立てたい、マインドのもやもやを改善したいとか。)
どのように学びすすめても、それはそれで正解なんだと思う。



ヨーガの真意は、調和。
いつでも、気付きの中に、バランスを観る。




先生が仰る通り、ヨーガは 道具なんですね。


生きていく上で、有効活用できる、便利なツール。

このツールを学んで、使って、そして「生きていく」んです。



わたし自身、妊娠と出産、育児を通して、この「生きていく」というセンテンスの意味が、本当に理解として深まりました。


生活、生命を活かすところ、つまり 自身の毎日のなかで、
「調和」を見出していくことが、すべてなんだな、
それが ヨーガを学ぶ人の生き方なんだなと、今更ながらですが、しみじみとおもいます。


そして、家族。

じぶんたちは、家族で、このヨーガという生き方を選んで、「生きていく」。


ひとつ ひとつ、自分自身や 家族の行いに気づいていて、その気付きが バランスをはかり、関係性が調和に保たれ、結果としてヨーガという生き方になる。

ヨーガは、どうやったら、生きやすいか、生を活かしやすいか、示してくれるアイテム。

みんな仲良く  心地よく、こころまあるく、違いを認め合いながらね。


ヨーガを学べる場所はたーくさんあって、
そのなかで  じぶんたちの仕事ってなにかな、と この数年、考えていたけれど、

ヨーガ堂・土は、家族という単位で、ヨーガやアーユルヴェーダに取り組んでいく、

家族で、その生き方を実践していく、というのが、土の進んでいく道なんやな、と。



家族は、個人の集まりで、たったひとりよりもバラエティ豊か。
個人のからだやこころのケアや観察はもちろんやけど、人数が増えて家族になったら、その分 そらいろいろあるわなー 笑
でも、だからこそ、その人同士の化学反応や  家族ひとりひとりのライフスタイルだったり生理のルールなどの違いを楽しみながら(もちろん関係性がギスギスしたり イライラすることがあったりする。それでも)、みんなで仲良くチャレンジしていける。

まだ 我が家は、子どももちいさく、家庭の中のそれぞれのあたらしい役割が始まったばかりだけど、経験してきたことは誰かとシェアできる。

出し惜しみなく、これからの土のワークに、体験からの学びをお伝えしていきたいと思います。



今回のクリスマス会は、こどもさんの参加が多くて、個人的に とても嬉しかったです。
こどもは、大人の世界をいとも簡単に広げ開いてくれます。
家庭を持ち、家族が増え、あらたなフィールドで ヨーガやアーユルヴェーダを道具として使うのに、土へ足を運んでくださるのが、すごく有り難いことだなと思いました。

ヨーガ堂・土として、家族で進んでいくんだと、つよく感じた日でした。






門前のバラ。寒さにめげず、しっとり静かに咲いている。








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